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長倉洋海より 2026年の年頭に

  

 故郷・釧路の正月は日中でもマイナス5度だった。厚着して近くの公園に向かった。公園内は雪が積もっていて歩きにくかったが、空は晴れ渡り、雲がゆったりと流れている。陽光がおだやかで、耳あてと手袋をとって、公園の端のベンチに座り込んで、空を見上げた。

<釧路・柳町公園で>

 私が出会ってきた人たちは、いま、どんな気持ちで、空と雲を見ているのだろう。アフガニスタンでマスードのもとにたどり着くまでの12日間に空腹で見上げた空や、アマゾンの雲ひとつない真っ青な空を思い出した。

<パキスタンから国境を越えて、マスードのもとを目指す>
<祭りの練習をするクリカチの子どもたち>

 2025年はさまざまな人たちとの再会が続いた。ブラジルでのアマゾン先住民の友アユトン・クレナックがプロデュースした写真展では、以前、私が取材した5つの先住民族が会場にやってきてくれた。ハグを交わし語り合った。写真展は多くのメディアで取り上げられたこともあって、5都市で45万人の入場者を記録した。写真は30年から20年前に撮られたものだが、人々は「森とともに生きる先住民の姿」と、受け継がれている文化や伝統を感じ取ってくれていた。

 20年以上、教育支援を続けてきたアフガニスタン・パンシール渓谷からはうれしいニュースが飛び込んできた。女子の高等教育中止で自分の学業が中断された「山の学校」の卒業生が、故郷で学べていない子どもたちのために学びの場を立ち上げたのだ。生徒が30名ほど、金曜を除いた毎日、授業を続けているという。自分の力で新しい道を切り開こうとする姿は、子どもたちばかりではなく、大人たちにも勇気と力を与えるものだ。
 4月には中米エルサルバドルを20年ぶりに訪れ、2箇所での写真展を開催。長く会っていなかったヘスースと夫のフランシスコに再会できた。私との再会に「神様、ありがとう」と大粒の涙を流した彼女の姿が忘れられない。
 5月には水俣、8月には沖縄と取材を重ね、釧路に戻った9月、コソボのザビット一家の長女セブダイエ(米国在)から連絡が入った。「父のザビットは、〝ヒロミはどうしているか”とばかり聞いてくるの」と彼女は笑った。

<民族服を着て踊るセブダイエ(右)>

 さまざまな出会いと別れを繰り返しながら、今年は写真家生活50年という節目を迎える年となった。これからも「出会いの環」は途切れることなく、大きく円を描くように広がっていく。そのことが、私の写真に新たな輝きを与えてくれると信じながら、これからも旅をし、写真を撮っていきたい。

追伸

 2026年は書籍や写真集の刊行、写真展も予定されています。商店塾の集中講座も行います。新しい写真とエピソードを持ち帰り、みなさんに届けたいと願っています。

                  2026年1月2日  長倉洋海

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