h.nagakura

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近況報告

  5月10日に中米エルサルバドルから戻りました。北部ラパルマにあるホテル・ラパルマでの写真展開催のためでした。ホテルオーナーのサルバドルさんから、私の内戦時のプリントを購入し、永久展示したいという申し出があったからです。現地の青年海外協力隊の方々のお手伝いで、中米大学での展示や小学校・中学校でのワークショップも行うことができました。

 この旅で是非とも実現したいと思っていたのが、ヘスースとフランシスコとの再会でした。2001年の2人の結婚式以来、会っていないのですから。ヘスースは「24年も来なかったのよ」と怒っていましたが、「生きていて良かった」と喜んでくれました。ヘスースたちとの再会の様子は今月のミニ塾や夏の集中講座で詳しくお話ししたいと思います。

<中米大学の展示に来てくれた2人に大きなプリントをプレゼントしました。>
<ホテル・ラパルマの食堂のエントランス。絵画の間に写真展のポスターが貼られていました。>
<会場には私が日本から持参したプリントは70枚。青年海外協力隊の方々の協力で実現した写真展です。地域の方々や高校生など、たくさんの方が来場しました。>
<会場を訪れた高校生たち。内戦をリアルの感じてくれたようで、SNSでも拡散されたようです>
<内戦時代から親交のあったホテルオーナーのサルバドルさんと私。年齢も同じでした。>

 会場に訪れたたくさんの人たちがノートに感想を記し、「大切な歴史を記録してくれてありがとう」と声をかけてくれました。ラパルマの写真も多く展示したので、「あ、この人は知っている。ここはあそこだ」と声が上がりました。私が大好きな写真「コーヒーを飲む老農夫」(ドンパブロさん)のお孫さんも来てくれました。机の上に置かれた写真集『サルバドルー救世主の国』や『ヘスースとフランシスコーエルサルバドル内戦を生き抜いて』を見た方からは、「どうしたら購入できるのか」という声もいただきました。

写真を撮った場所で写真展ができること。写った人の家族にお会いできたことは私にとっても感動であり、大きな喜びでした。平和になったエルサルバドルを再訪する日が来るとは思っていなかったので感無量でした。オープニングの挨拶でサルバドルさんが「手にできた平和を失わないためにも、過去のことをしっかりと記憶し忘れてはならない」と話すのを聞いて、多くの人が頷いているのも心に強く残りました。

 首都のサンサルバドルでは、かつて私が泊まった安宿や食堂を訪れ、私を助けてくれた下町の新聞売りだった少女ビルマや本屋のファシオの妻キャサリンと再会を果たすことができました。24年ぶりのエルサルバドルは大きく変わっていましたが、当時出会った人々が今を楽しみながら、日々を懸命に生きている姿に心打たれました。それは私が内戦下で出会ったエルサルバドルの人々の姿そのものでした。私が長く取材してきたアフガニスタンにも、こんな平和がやってくるといいなあと思いながら、エルサルバドルを後にしました。

 一方、ブラジルでは「長倉洋海 アユトン・クレナックとアマゾンを行く」展が現在も続いています。4月26日から7月27日まではブラジルで5番目の規模の都市フォルタレザで開催中で、リオデジャネイロでの36万1千人の入場を筆頭に、トータルで45万1千人の方々観てくれました。写真だけでなく、先住民を招いてのトークイベントや伝統文化を学ぶワークショップなどが並行して行われたことも、たくさんの人を動員する力になりました。ブラジルを地球の裏側と捉えがちですが、「同じ地球」なのです。ブラジルで起きていることは日本で起きていることと繋がり、連動しているのです。この写真展への関心の高さは、開発を進め先住民を追いやって来たブラジルが変わり始めている証左だと思います。今年の9月には、11月にCOP30が行われるアマゾン河口の大都市ベレンでの写真展開催があり、私も向かう予定です。どんな写真展となり、どんなイベントが行われるのかその報告もお待ちください。 また、エルサルバドルから帰国して間もない5月14日から4日間の水俣スタディツアーに参加していて、皆さんへのご報告が遅れたことをお許しください。 

<フォルタレザ会場写真。会場の外壁に大きく写真が伸ばされました。(動画より切り抜き)>
<フォルタレザ会場内写真>

庭の桜がまだ咲いていてくれた釧路から  長倉洋海

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