今年もあっという間に一年の半分が終わり、7月に入りました。昨年9月に公開された映画「鉛筆と銃 長倉洋海の眸(め)」は、昨年来、全国を巡回しています。最近では6月22日からの名古屋シネマスコーレ、7月12日には北九州市ムーブ・フェスタで、8月7日には枚方市サンプラザ生涯学習センターでと上映が続きます。8月12・13日の鹿児島ガーデンズシネマ、8月18日の釧路芸術館アートホールでは、アンコール上映が行われます。秋以降は11月に京都、3月の東近江で上映が予定されています。
全国巡回でより多くの人たちにアフガニスタンや山の子どもたちに関心を持ってもらえる嬉しさを感じながら、同時に、見た方々の声を現地の人や子どもたちに届けることができないもどかしさも感じています。カブールやバーミヤンには日本人や報道関係者が訪れていますが、山の学校があるパンシールはマスードの故郷でタリバンの全国制覇を阻んだ地域ということもあり、タリバンの敵視は続き、弾圧と監視の目が厳しく、自由に出入りできない状況です。
以前のように支援ができるようになるのを待つしかありませんが、その間も山の学校支援の会としての活動は続けています。5月10日にはパンシールの北隣のバグラン州で洪水が発生しましたが、会からも支援をさせていただきました。現地の提携組織から、食料や衣類を届ける様子を撮影したビデオが送られてきましたので紹介します。ヘラートでの大地震、ゴール州やバグラン州での洪水と、震災が続くアフガニスタン。ささやかでも支援を行うことが孤立しがちな地域住民の心の支えになると信じています。
タリバンのアフガニスタン制圧からまもなく3年が経ちます。タリバンの支配が固定化し、女子高等教育の停止、北部でのタジク人とハザラ人への弾圧、そしてタリバンの容認のもと北部で活動を活発化させるISホラサンやアルカイダなどの過激派組織。こうした状況は変わらないままで、失業と経済の悪化、食糧不足も改善の兆しがありません。
そうした状況をなんとかしようと国連が呼びかけて6月30日から2日間、ドーハでアフガニスタン関係者国際会議が始まっています。前回、前々回と市民団や女性代表が加わったことでタリバンが参加を拒否したため、今回はそうしたメンバーは招かれていません。そのことに人権団体からは批判が出ているようです。タリバンは国際承認と凍結資産の解除を求めたいようですが、それが認められるはずもなく、どの程度、アフガン情勢に進展が見られるのか多くのメディアは否定的なようです。
そうした動きとは別に、中国はタリバン政権の大使を認めタリバンとの鉱山開発などを進めており、ロシアもISホラサンによるモスクワの劇場テロがあったにも関わらず、タリバンとの協調を目指していると伝えられます。米国のタリバン政権への巨額の現金輸送も続いています。
世界は米国での9.11がどうして起きたのかを忘れたのでしょうか。過激派は、欧米を敵視し、その政治体制を壊滅することがイスラムの勝利だと信じている人たちです。そうした輩は、まもなく始まるパリオリンピックで世界の耳目を集めるような事件を起こそうと虎視眈眈と待ち構えていると私は想像します。しかし、そうなってからでは遅いのではないでしょうか。
私たちはアフガニスタンを取り巻く政治状況が変わるのを待つしかないのでしょうか。いや、そうではないと思います。米国の若者がパレスチナの虐殺を止めようとしないバイデン政権にノーを突きつけたことで、米国の大統領選挙の状況も変わり始めています。世界が抗議の声をあげ動き出すことで、アフガニスタン情勢も変化を見せるに違いありません。
話を南アフリカに転ずると、かの地では黒人を人間と求めず人類最大の犯罪と言わしめたアパルトヘイト(人種隔離政策)が46年続きました。その間、人々は耐えるしかありませんでしたが、未来への希望は心の中にマグマのように燃え盛っていました。そうした人々の思いと、27年もロベン島の独房に投獄されながら、決して変革の夢を捨てなかったマンデラ大統領の不屈の精神が、アパルトヘイト廃止に繋がったのです。自分たちのことしか考えない政治指導者が国際社会を動かしていますが、それを変えていくこと。声を上げること。そこから世界は変わっていくと思います。アフガニスタンでもパレスチナでも、変革は必ず起きる。そう願っているのは人々だからです。世界が見捨てず、人々が希望を失なわない限り、必ず変革は成ります。そう信じて前を向きたいと思います。
2024年7月1日 長倉洋海